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びえん
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性別:
女性
自己紹介:
***下の方に記事があります***
大阪>シカゴ('94)>シアトル('95~ ) シアトルの夜はグーグー眠る。シアトル在住というくくりだけで、Seattleit(シアトライト・シアトル人)とは呼ばれたくないです。勝手に命名:Nirvaneseと呼んでください。なぜならシアトルは全米で自殺率がトップクラスなんです。哲学者なんですよ、みなさん。なんて洗練された街なんでしょうか。曇りのち雨・お陽さんちょこっとのぼります。 カレンダー
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なんとなくテキトーに全力・前進
2024.11.28 Thu 07:37:56
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池田晶子の『14歳の君へ』 君はこうすることができる。嫌いなものは嫌いだ。これはもうどうしようもない。そして嫌いなものはそこにある。これもどうしようもない。だからそのことを自分で認めてしまうんだ。そして、それ以上そのことにこだわらないことだ。そうすれば、嫌いなものは嫌いで、ほうっておくことができる。ピーマンさん、あなたがこの世に存在することは認めるけれど、あいにく私はあなたが嫌いです。だから私はあなたを食べませんって具合にね。 嫌いなものを無理に好きになろうとするのは、好き嫌いにこだわるまいとして、逆に好き嫌いにこだわっているんだ。でも、好き嫌いは好き嫌いとして、どうしても存在する。それなら、それはそれとして認めてこだわらないこと、これが「愛」というものなんだ。 君は意外だろう。嫌いが嫌いで愛だなんて、変だと思うだろう。愛というのは好きというのと同じことだと思っていただろう。だけど、愛と好きとは違うんだ。愛は感情じゃない。愛は、好き嫌いを超えたもの、それがそこに存在することを認めるということだ。受け容れるということだ。ピーマンが嫌いでも、ピーマンが存在することは認める。あの人は嫌いだけど、あの人が存在することは受け容れる。そうすれば、嫌いという感情を持ちながら、愛することができる。その人の存在を拒まずに受け容れることができるんだ。 PR
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